2010年01月22日

Kakuhihewa

オアフ島は、Oahu a Kakuhihewa , 「カクヒヘヴァ王のオアフ島」と呼ばれることがあります。

カクヒヘヴァ王は16世紀から17世紀ごろにオアフ島を治めていた王様で、名君の誉れ高い方。
カクヒヘヴァ王の時代、オアフ島は平和で、物が豊かに実り、人々が楽しく幸せに暮らしていたといわれていて、
いわば、オアフ島の黄金時代。
それで、このように今も呼ばれたりしているわけなんですね。

父王カイヒカプ・ア・マヌイアと母カウヌイ・ア・カネホアラニの最初の息子、カクヒヘヴァが生まれたのは、オアフ島のへそPikoともいえる、聖地Kūkniloko クーカニロコ。
クーカニロコについてはまた後で詳しくお話しするとして、王の誕生の場所とされるクーカニロコで生まれた彼は、
うまれてすぐに母方の祖父カネホアラニによって、クーカニロコの近くにあるHoolonopahu Heiau(ホオロノパフの神殿)に運び込まれ、ここでオアフ島じゅうから集まった48人の有力な酋長たちに見守られ、へその緒を切る儀式を行われました。

ホオロノパフ・ヘイアウ(神殿)は「パフドラムを聞く」というその名の通り、
二つの神聖な太鼓 Opuku と Hawea がまつられていました。
そして王の誕生を祝うこの儀式の間、この二つの太鼓がトコトコ・・・と鳴らされて島じゅうの人々にカクヒヘヴァの誕生が伝えられたといいます。

数名のカフ(お守役)に囲まれてオアフ島のエヴァ付近で育てられたカクヒヘヴァは、さまざまな学問や伝統文化、武芸などを王としての立場にふさわしいよう仕込まれ、磨かれました。
王を指導するのは当時のマスターと呼ばれるような立場の人たちでしたが、なかでも有名なのはマイネレという名の弓の達人で、彼の名前は、「ピイコイの物語」など、有名な伝説にも登場します。

こうして文武両道に磨きをかけてそだったカクヒヘヴァが、やがて父の跡をついで王となる日がきました。
その頃オアフ島は、あちこちの領土ごとの酋長たちが乱立し、争いを繰り返していたのですが、なかでも力を持っていたのが彼のいとこであるナプラナフマヒキ王でした。
カクヒヘヴァは彼と戦うことを避け、その代わりに和平を結び、彼の娘のKaea-a-Kalona(またの名をKahaiaonuiakauailana)を妻に娶りました。
これによって、カクヒヘヴァはワイアナエ、ワイアルア、コオラウロアの各地域をも傘下に収め、名実ともにオアフ島全体の王となったのでした。

このように、カクヒヘヴァは、武術に優れていたにもかかわらず(または、彼の武術の腕あればこそなのかもしれませんが)、平和的な手段で島を賢く統治したため、
彼の時代のオアフ島は戦争も反乱も起こらず、物は豊かに実り、海には魚があふれ、人々はさまざまな美しい工芸品を作り富み、栄え、島全体が幸せな時代の空気に包まれていたそうです。

ちょうど、平安時代とか、江戸時代の元禄年間とか、第二次大戦後の日本のように、平和が繁栄を築いた時代だったんでしょうね〜

次回は、この、カクヒヘヴァ王の時代の伝説を、いくつかご紹介しましょう。


posted by MOANA at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月14日

ホノルル @

ホノルルはハワイ最大の都市です。
1800年代に、ハワイ王国の首都となり、以来政治・経済の中心として発展してきました。

このホノルルにまつわるお話はたっくさんあって、どこからはじめようか迷うところですが
まずは、ホノルル という地名から見てみましょう

昔のハワイの各島は、アフプアアと呼ばれる土地の区分がありました。
アフプアアに関しては語りだすと延々長くなるので
とりあえずお友達の伸江さんのサイト「伝説のハワイ」http://www.legendaryhawaii.com/ahu/ahu01.htm
こちらを見ていただくとして・・・

ホノルルは、オアフ島の、Konaコナというモク(国)の
中心的アフプアア(里)だったわけです。

ホノルル、というのは、昔この土地(アフプアア)を治めていたアリイ(酋長)の名前からきている、という説があります。
カクヒヘヴァという大王の重臣であったホノルル王の領地は
平和で豊かな田園地帯でした。
「Hono」は「豊かな、溢れるほどの」という意味で
「Lulu」は「静けさ、平和」という意味で、
つまり「豊かで平和な穏やかな土地」という意味だという説もあります。

メアリ・カヴェナ・プクイさんの解説によれば
「守られた港」という意味だそうです。


   つづく・・・
posted by MOANA at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ホノルル